菊竹清訓

(1928−)

愚か者か、カリスマか

東京に住んでいると、菊竹という人はおよそろくなものを造らない、どうしようもない建築家というイメージが固定されます。江戸東京博物館とソフィテル東京は、あまりにひどい代物です。昭和館も、いろいろと経緯があったようですが、褒めるほどのものとは思えません。こんなものしか造らない男が、どうして大家とみなされているのでしょう。

それがどうやら、1960年代に建築を志した人たちには、菊竹はメタボリズムの主導者、黒川紀章や磯崎新などの世代を束ねるリーダーであり、天才的カリスマ建築家として仰ぎ見るような存在だったらしいのです。彼のオフィスで建築家人生の最初の数年間を過ごした伊東豊雄は、「日本の現代の建築家たちのなかで、彼ほどに『狂』という表現のあてはまる作家はいないと思う」(『風の変容体』)と、最大級の賛辞を贈っています。安藤忠雄の『連戦連敗』にも、日が暮れると他のプロジェクトを中断し、「海上都市」の計画に没頭する伝説的人物として彼は登場します。大谷幸夫に敗れた国立京都国際会館のコンペ案をはじめ、彼の建築ヴィジョンに多くの人が夢を見たのです。

菊竹の優れた作品を見たいと思い、私は思い切って、代表作の集中する山陰にまで足を伸ばしました。しかしそこでも、固定観念を覆すような体験をするには至りませんでした。有名な出雲大社庁の舎は、予期したよりも小規模な建築で、コンクリートの重量感がもっと感じられたらよかったのにと思いました。島根県立図書館は、典型的な菊竹作品で、美しさを感じさせる余地が全くなく、デザインセンスのなさが際立っていました。内部の柱の形状が昭和館の外観と似ています。他方、島根県立美術館は、流線型のプロポーションがなかなか美しく、宍道湖の風景にぴたりと馴染んでいましたが、皮肉なもので、こうなってしまうとこんどは菊竹らしさがおよそ感じられず、黒川の作品と言われても谷口吉生の作品と言われても、疑問も抱かず信じただろうと思われました。田部美術館は、小規模ながら佳作と呼びうるかもしれません。しかし、必見のものをひとつ挙げよと言われれば、それは東光園でしょう。これぞ、彼のエッセンスがすべて凝縮された菊竹ワールドに違いないと目をつけたのでした。

しかし思えば山陰とは、じつに不思議な空間です。1960年代の菊竹の作品に、1990年代の高松伸の作品が並ぶのです。過疎地の代名詞のような場所に、どうしてそれぞれの時代を先取した作家が根を下ろしえたのでしょうか。

東光園
出雲大社庁の舎
島根県立美術館
田部美術館


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