旧三重県庁舎

清水義八(1879)

「お城の面影をとどめた洋風建築」と言えばよいでしょうか。行政が江戸時代の幕藩体制から維新後の新体制に代わり、各県が競って洋風の新庁舎を建設した時代の産物です。

殿様が県令に取って代わられるという事態は、現代を生きるわれわれの想像を絶する大革命であったに相違ありません。同様に、行政の場所がお城から洋風庁舎に移るという出来事も、途方もない意識改革を伴うものであったはずであり、そうそう一朝一夕に成し遂げられるものではなかったでしょう。しかも、東京の中央官庁舎ならば、お抱え外国人設計者に任せて本格洋風建築を造ることもありえたでしょうが、田舎では地元の伝統的大工が見よう見まねで努力するほかなかったわけで、その結果このように、お城の風貌がどこかに残る合いの子作品が誕生したのです。

とはいえ写真にあるように、なかなか瀟洒な洋間があったり、ギリシア風の円柱もそれなりにさまになっていたりと、維新後たった10年のあいだにずいぶん一生懸命勉強したものだと感嘆の念を禁じ得ません。また、反りのない瓦葺きの屋根を載せるという折衷案も、誰の考えによるものかは知りませんが、さほど珍妙な印象は与えず、むしろ堂々としています。

資料によると、昭和40年前後にこの明治村に移築されたそうです。だとすれば、戦後約20年間にわたり、高度経済成長時代の半ばに至るまでこれが現役の県庁舎として使い続けられたのかと考えると、それはそれでたいへん不思議な思いにとらわれます。

旧三重県庁舎旧三重県庁舎

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