村野藤吾

(1891−1984)

身体の愉悦

手元に『村野藤吾のデザイン・エッセンス』という8巻の本があります。疲れたときに写真をぼんやり眺めていると、階段の手すり、照明、椅子、壁、足下などの質感の美しさに心底ほれぼれとします。

村野の作品の独特さは、理論とか理念とかいったものがはるか背景に退いている点に帰着すると思います。なぜこの建物はこの形にならねばならないのか、それが理屈によって決まるのでもなければ、あるいは最初に全体像が観念として存在するのでもなく、いわばひたすら粘土を手でこねくりまわしているうちに、混沌の中から次第に形があらわれ、十分に満足のいったところで「まあこれでよかろう」と決まるわけです。合理主義はもちろんのこと、経験主義やプラグマティズムも超越して、非常に身体感覚的な造り方なのです。

彼は長い創作人生の中で、まともなモダニズム建築に近いものも少なからず造っているようです。しかし、それが晩年になるにつれて独自性が深まり、ルーテル学院大学や新潟県にある谷村美術館などは、その極地に達しています。ここまで行くともう、泥から出てきたとしか見えません。それらはある意味きわめて日本的な作品とも言えるのですが、日本の伝統様式を明示的にふまえているから日本的というのではなく、日本人の手が日本の泥をこねて造ったから日本的なのだという印象です。

モダニズムに立脚しつつも次第にローカル色の強い土俗的な作品に転じていったという点では、世界を見ればアルヴァ・アアルトに似ているかもしれません。フランク・ロイド・ライトとも、いくらかの共通性があるかもしれません。アアルトの作品をわれわれが見ると、西欧風になりそうでなっていない、どこか垢抜けない田舎臭さを感じるものです。村野の作品を西欧の人が見ても、きっと似たような印象を持つことでしょう。

村野、アアルト、ライトの三人にはもうひとつの共通性があり、それは椅子や照明器具などのデザインを多く手がけたことです。これはむろん偶然ではなく、ものづくりの原点に身体感覚があるという点をかれらが共有しているからです。とりわけ椅子は、われわれの身体が直接触れ、いわば触覚を通じて感受されるものです。別冊新建築の『村野藤吾』に、つぎのような言葉が載っていますが、じつに彼らしいと思います。

「余談ですがね、東大を出てウチに入ってきて4〜5年の若い所員に、私は『君も設計したいだろうけれど、当分は建築の設計をしないで、椅子をやりなさい。椅子ぐらい人間に親しくて、それから線がこまかくて、デリケートで、感覚に訴えるものはない。椅子さえしっかりやってあれば、建築なんてすぐできるから心配するな』といって、3年間ぐらいそればっかりやらせました。」

村野の作品が、「洗練された美」とは異なる方向性を持つことも、その身体性と深く関連しているでしょう。そしてそのことゆえに、彼の作品をどうしても好きになれず拒絶反応を示す人がいたとしても、あながち不思議ではないように思えます。たとえば、彼の特徴のひとつとして、執拗な反復の多いことが挙げられますが、反復とは概して、われわれの生理にじかに触れてくるものです。大阪新歌舞伎座では、唐破風のモチーフがひたすら繰り返されます。箱根プリンスホテルも、円形の外側は同じパターンの反復で、これなどはある種、百足か芋虫の腹部を見るような気味の悪さを感じさせます。

さらに、たとえば有名な日生劇場のアコヤ貝の天井は、美しいと言えば途方もなく美しいけれども、これはいくらなんでもキッチュではないかと思う人がいるでしょう。新高輪プリンスホテルの宴会場も、いったい竜宮城のつもりかとも言えるでしょう。美の諸要素のうちで、身体や五感に訴えかける部分が突出すると、このように時として、悪趣味や俗悪に接近する局面が出てくるのです。そして、こうしたときもあくまで、見る者が愉悦に身をまかせることができるかどうか、それ次第で、村野建築への好き嫌いは分かれるのでしょう。

日本生命日比谷ビル
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