テクノプラザ

リチャード・ロジャース(1998)

ロジャースの傑作、ロイズ・オブ・ロンドンこそは、20世紀建築の金字塔だと私は信じて疑いません。スタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』が、2001年をすでに通過した今も驚嘆すべき斬新さに満ちているのと同じく、ハイテック建築の極みたるロイズもまた、テクノロジーというものがバラ色の将来を約束するものとは思えなくなった現在なお、全く色褪せることがないのです。とはいえ、ロイズがあれほどのエネルギーを放ち続けているのは、それがロンドンのシティという伝統ある空間に置かれているからにほかならないという点も、決して看過されてはなりません。歴史を背負った重厚な街並みと対比されてこそ、あの作品の持つ強烈なインパクトは生み出されるのです。

さて、日本の都市には残念ながら、こうした歴史的文脈というものがありません。東京に点在する少なからぬ名建築はみな、悲しいかな、掃き溜めに鶴の様相を呈しており、近隣の建物をできるだけ視野に入れないようにして鑑賞するほかないのです。とはいえしかし、日本の建築というものが、その置かれた環境と何の相互関係も持たないのかと言えば、必ずしもそうではないと私は考えています。そして、ヨーロッパにおける都市の歴史的文脈に相当するものは、日本では自然環境としての景色ではないかと思うのです。隣にどんな家があるかを脳内で完璧に捨象してマイホームを建てる人も、周囲にどのような自然環境があり、窓からどのような景色が見えるかには、相応の関心を示すものです。思えば日本には、借景といった手法が古来からあるわけで、これはこれで馬鹿にできない一つの強固な伝統的発想なのです。

こうした事情を考慮に入れると、ロンドンであれほどの成功をおさめたロジャースにとって、日本での仕事はいささか勝手が違ったのではないでしょうか。とりわけこのテクノプラザは、岐阜県各務原市郊外の丘陵地帯にあり、文字どおりの豊かな自然に取り巻かれています。ですから、ヨーロッパ流の都市建築の手法は、ここでは全く通用しないでしょう。さて、彼の頭に、私が述べてきたような日本と彼の地の発想の相違があったかどうかはわかりませんが、彼もまたここでは「自然との調和」の方向に舵を切っているようです。そのことは、植物が建築物を覆いつくすデザインに如実に感じられるばかりでなく、建物を土地の起伏に合わせることによって、自然環境になじむように配慮していることからも十分に察せられます。では、果たしてその試みはうまくいったでしょうか。私には、ここにはどこか英国式庭園風の着想を脱し切れない、秩序への志向があるように感じられます。幾何学的整然さに還元されないものをよしとする日本の自然観とは、微妙にずれているのです。こうしたことを考えると、総じて、この作品は必ずしも大成功とは言えないのではという印象が残りました。

ちなみにこの同じ敷地内には、天野エンザイム岐阜研究所、アネックス・テクノ2など、いくつかの研究施設があり、それぞれが凝った意匠を競っています。残念ながら私には、そのうちどれがロジャースの設計で、どれが彼と関係がないのか、十分に調べることができませんでした。それらについては別のページで紹介しています。

テクノプラザテクノプラザ

<写真はクリックすると拡大します>


ARCHITECTURE HOME