研究内容


 生体の神経系では多数の神経細胞が相互に結合し、回路網を形成している。 個々の神経細胞は通常、大きさが 0.1mV、幅が 2〜3msec の応答パルス系列を発 生しており、この系列が神経細胞間の相互作用により変化する。すなわちこの応 答系列の時間的な変化が、神経系で行なわれている情報処理を表していると言え る。電子計算機の動作速度と比較すると、神経系のそれは約10万分の1で非常 にゆっくりしている。さらに神経細胞は基本的に、入力信号がある値を越えたら パルス(出力信号)を生じるという、単純な特性しか持ち合わせていない。しか しながら、何十億個もの神経細胞が複雑に絡みあい、1個の神経細胞が. 時には 10万以上の多数の入力を受け、さらに環境に応じてその特性を変化させ、時には絡みあいそのものも変え、高度の情報処理を行なっている。 本研究室では神経情報科学に関連する研究、その中でも特に網膜神経回路網を対象とした研究を行なっている。網膜には物体の動きに応答する細胞、境界線を検出する細胞、色を弁別する細胞などがあり、およそ視覚機能に関わる基本的 な処理は全て網膜神経回路網で行なわれていると言っても過言ではない。網膜の 研究は視覚系の機能を明らかにするだけでなく近年、脚光を浴びているニューラ ルコンピュータ、ロボットビジョンなどを考えるうえでも基本的で重要である。 具体的には、以下に示すような研究を主として行なっている。

{網膜神経回路網における逆行性信号伝達}

外界からの光情報は視細胞で電気信号に変換されたのち、双極細胞を経て網膜 の出力細胞である神経節細胞へ送られる。視細胞から双極細胞への信号伝達は水 平細胞によって調節される。双極細胞から神経節細胞への信号伝達はアマクリン 細胞によって調節される。視細胞、双極細胞および水平細胞が突起をのばしてい る部位は外網状層とよばれ、双極細胞、アマクリン細胞および神経節細胞が突起 をのばしている部位は内網状層と呼ばれる。すなわちこれら2つの層が網膜にお ける情報処理の場であり、外界からの光信号は 視細胞→外網状層→内網状層→ 中枢 へと伝えられることになる。近年、この信号伝達経路とは逆の 中枢→内網 状層→外網状層 という信号経路の存在が注目されている。これは以下の結果が 最近明らかになったことによる。1)種々の生物にこの逆行性信号伝達経路が存在 する、2)逆行性信号伝達経路を形成する神経細胞の伝達物質が明らかになりつつ ある、3)中枢の影響が水平細胞にまで達している。本プロジェクトでは、この逆 行性信号伝達経路の機能および背景となる神経回路網を明らかにする目的で研究 を行なっている。

関連論文 Umino O. & Dowling J. E., Dopamine Release from Interplexiform
Cells in the Retina: Effects of LHRH, FMRFamide, Bicucullin and Enkephalin on Horizontal Cell Activity. Journal of Neuroscience, 11, 3034-3046 (1991)


{エッジ検出神経細胞}

  網膜双極細胞は光に対し拮抗的な受容野を持ち、エッジ検出の初期過程として 重要な役割を担っている。本研究室では、双極細胞同士が電気的に結合すること を近年、明らかにした。双極細胞同士が電気的に結合すると空間フィルタ特性が 影響を受け、空間分解能が低下するが、計算機シミュレ−ションを行なうと、空 間分解能の低下がまだ小さい範囲で、双極細胞への入力信号の大きさのばらつき を電気的結合が補正していることがわかる。このような結果に基づき本研究室で は、「双極細胞同士の電気的結合は視細胞からの入力信号のばらつきを、平均化 することにより補正している」という仮説を提出した。現在、この仮説を検証す るための研究を行なっている。
関連論文 Umino O., Maehara M., Hidaka S., Kita S. & Hashimoto Y., The Network Properties of Bipolar-Bipolar Cell Coupling in the Retina of Teleost Fishes. Visual Neuroscience, 11, 533-548 (1994)


{動きのある光パタ−ンを検出する細胞}

 網膜アマクリン細胞は動きのある光パタ−ンに対し特異的に応答することか ら、光パタ−ンの動きを検出していると考えられる。本研究室では、動きのある 光パタ−ン検出の背景となる神経回路機構を解明する研究を行なっている。
関連論文 海野修、小野真佐子、篠崎ますみ、橋本葉子 網膜神経回路網にお ける逆行性信号伝達, 電子情報通信学会、MBE 91-111, pp.25-32 (1991)


{色覚の神経回路機構}

 暗闇から真夏の太陽の下、我々のまわりの光環境は大きく変化する。このよ うな環境下、平均光強度が大きく変化しても我々は色覚を維持できるが、その背 景となる機構を調べている。
関連論文: 篠崎ますみ、小野真佐子、海野修  網膜経細胞間にみられる信号 伝達特性の変化について−L型からR/G型水平細胞への信号伝達− 電子情報 通信学会、MBE 91-110, pp.17-24 (1991)        


{電子顕微鏡レベルにおける神経細胞立体像の立構築}

 神経細胞の機能はその形態に密接に関係している。神経細胞はその突起を3 次元的に広げているので、その立体像を知ることは重要である。しかしながら、 光学顕微鏡レベルでは共焦点レーザ顕微鏡が近年開発され、細胞の立体像を得る ことが可能になったが、電子顕微鏡レベルでは有効な方法はないのが現状である 。共焦点レーザ顕微鏡が顕微鏡分野では今世紀最大の発明とされることからもわ かるように、電子顕微鏡レベルでの立体像を得ることは非常に重要である。一方 、計算機分野では画像関連の技術がハードウエア、ソフトウエア双方で飛躍的に 進展している。そこで本研究プロジェクトでは、神経細胞の立体像を計算機上で 構築するための研究を行なっている。
関連論文 宍戸修、海野修、前原通代、橋本葉子  電子顕微鏡写真からの立 体構築(第ー報)ー網膜双極細胞の樹状突起野ー   電子情報通信学会、MBE 94-73, pp.129-136 (1994) Shishido, O. Yoshida, N. and Umino, O. Image processing experiments for computer-based three-dimensional reconstruction of neurons from electron micrographs from serial ultra-thin sections. Journal of Microscopy, 197, 224-238 (2000)

{時空間ランダムパタ−ン光による網膜神経細胞の受容野の解析}

  受容野は神経細胞に影響を与える網膜面上の領域として定義される。受容野は 画像処理における空間フィルタに対応することからもわかるように、空間視を考 える上で基本的に重要な特性といえる。従来、受容野は網膜面上にスポットある いはスリット光を照射し、その応答振幅をプロットすることにより求めていた。 一方、我々のまわりの光景は固定されたものではなく、時間の推移とともに変化 していく。したがって、受容野(あるいは画像処理でいう空間フィルタ)を時間 、空間双方で求めた方がより意味のある結果が得られると思われる。そこで本プ ロジェクトでは、時空間でランダムに変化するパタ−ンを用いて神経細胞の時空 間受容野を調べる研究を行なっている。
関連論文 宮地、小野、牛尾、吉田、海野 網膜水平細胞の受容野特性− 時 空間ランダム変調光を用いて− 電子情報通信学会、MBE 94-128, pp.39-46 (1995) Umino, O. and Ushio, T. Spatio-temporal receptive fields in carp retinal horizontal cells. J. Physiology 508: 223-235 (1998)