10回目:整数
前回の講義では,自然数の集合$\mathbb{N}$を公理を使って定義し,さらに加法$+$,乗法$\cdot$の演算を定義し,それらの性質を調べた. その結果,普段から使っている自然数と,その中の加法と乗法は問題なく使用してよいことがわかった. 今回の講義では,この自然数とその演算を使って整数を定義していく.10.1 整数の定義
一旦,今まで使ってきた引き算を用いて,整数,特に負の整数がどう表されるか考える.例えば,$-2$は$1-3$と2つの自然数の引き算で表すことができる.さらに, \[ -2=0-2=1-3=2-4=\cdots \] と$-2$を表す自然数の組は無限に存在する.このような$(0,2),(1,3),(2,4),\ldots$という順序対を同一視してそれを$-2$と対応させれば$-2$は定義できそうである.同様に,どんな整数もこのように2つの自然数の組を使って定義できそうである.この同一視のため同値類を使う. それでは 引き算を再び忘れて, 整数を定義していく. 直積集合$\mathbb{N} \times \mathbb{N}$上の二項関係$\sim$を以下で定義する. \[ (n_1, m_1) \sim (n_2, m_2) \underset{{\rm def}}{\Leftrightarrow} n_1 + m_2 = m_1 + n_2 \] 右の等式は$n_1 - m_1 = n_2 -m_2$を意味しているが,自然数の引き算は定義していないので,このように定義している. 例えば,$(0,2) \sim (1,3) \sim (2,4)$であることがわかるであろう. この$\sim$は同値関係となる. すると$(0,2),(1,3),(2,4)$は「同じようなもの」として思えるのであった.ここで$\sim$による同値類を考えてみると, \begin{align*} [(0,0)]_{\sim} &= \{ (0,0), (1,1), (2,2),(3,3),\ldots\} & \mbox{($(0,0)$を代表元とする同値類)}\\ [ (1,0)]_{\sim} &= \{ (1,0), (2,1), (3,2),(4,3),\ldots\} & \mbox{($(1,0)$を代表元とする同値類)}\\ [(0,1)]_{\sim} &= \{ (0,1), (1,2), (2,3),(3,4),\ldots\} & \mbox{($(0,1)$を代表元とする同値類)}\\ [ (2,0)]_{\sim} &= \{ (2,0), (3,1), (4,2),(5,3),\ldots\} & \mbox{($(2,0)$を代表元とする同値類)}\\ [ (0,2)]_{\sim} &= \{ (0,2), (1,3), (2,4),(3,5),\ldots\} & \mbox{($(0,2)$を代表元とする同値類)} \end{align*} となっている.気持ちとして$[(n,m)]_{\sim}$は整数$n-m$を表している.以降,単に$[(n,m)]$と書く.この同値類のことを整数と呼ぶ.さらに整数全体の集合,つまり商集合$\mathbb{N} \times \mathbb{N} / \sim$を$\mathbb{Z}$と書くことにする.また$[(0,0)]$を$\overline{0}$,$[(1,0)]$を$\overline{1}$, $[(0,1)]$を$\overline{-1}$, $[(2,0)]$を$\overline{2}$, $[(0,2)]$を$\overline{-2}, \ldots$のように書くこととする. すると \[ \mathbb{Z}=\{ \overline{0},\overline{1},\overline{-1},\overline{2},\overline{-2},\ldots\} \] となる. ここで上線をつけたのは自然数$0,1,2,\ldots$と区別するためである.10.2 整数の加法と乗法
自然数の加法と乗法を使って,整数の加法と乗法を定義する. 実際,次のように定義する. \begin{align*} [(n_1,m_1)] +_\mathbb{Z} [(n_2,m_2)] &\underset{{\rm def}}{=} [(n_1+ n_2,m_1+ m_2)]\\ [(n_1,m_1)] \cdot_\mathbb{Z} [(n_2,m_2)] &\underset{{\rm def}}{=} [(n_1\cdot n_2+ m_1 \cdot m_2, m_1 \cdot n_2 + n_1\cdot m_2)] \end{align*} ここでは$\mathbb{N}$上の演算$+$や$\cdot$と区別するために$+_{\mathbb{Z}}, \cdot_{\mathbb{Z}}$と書いている. これは$1+1$と$\overline{1}+\overline{1}$は違う意味であることを強調するためである. ただし以降は単に$+,\cdot$と書く. なぜこのように定義するかというと,これまで使ってきた引き算に対し,2つの整数$n_1-m_1$と$n_2-m_2$の和と積を考えると, \begin{align*} (n_1-m_1)+(n_2-m_2)&=(n_1+n_2)-(m_1+m_2)\\ (n_1-m_1) \cdot (n_2-m_2)&=(n_1n_2+m_1m_2)-(m_1n_2+n_1m_2) \end{align*} となっているからである. 具体的に計算してみると, \[ \overline{-2} \cdot \overline{3}=[(0,2)] \cdot [(3,0)]=[(0\cdot 3+2\cdot 0, 3\cdot 2+0\cdot 0)]=[(0,6)]=\overline{-6} \] となる. これで整数の加法と乗法が定義できたと思えるが,実は商集合での演算は確認しないといけないことがある.それがwell-defined性である.日本語で無理やり訳すなら「矛盾なく定義される」ということである. 上の演算では同値類$[(n,m)]$の$(n,m)$という代表元の情報を使っている.しかし,例えば$[(0,2)]=[(1,3)]=[(2,4)]=\cdots$のように代表元は取り替えることが可能である.上の演算で確かめないといけないのは,「代表元の取り方を変えても,その演算の結果は変わらない」ということである.例えば, \[[(0,2)] +[(1,0)] =[(1,2)] =[(2,3)] =[(1,3)] +[(1,0)] \] であり,$[(0,2)] $を$[(1,3)] $に取り替えても演算の結果は同じである.well-definedではないものは少し想像しにくいと思うので,例を少し見てみよう. 一旦,分数を普段使っているものだと思い,分数の演算を \[ \dfrac{m_1}{n_1} \star \dfrac{m_2}{n_2}=\dfrac{m_1+m_2}{n_1+n_2} \] として定義する(よくある間違った分数の足し算である).このとき,$\frac{1}{3} \star \frac{1}{2}=\frac{2}{5}$となる.しかし,我々は$\frac{1}{3}=\frac{2}{6}$であることを知っているので$\frac{1}{3}$を$\frac{2}{6}$に取り替えても演算の結果が同じにならないとおかしい.ところが,$\frac{2}{6}\star \frac{1}{2}=\frac{3}{8}$であり,$\frac{3}{8} \neq \frac{2}{5}$となるため,演算の結果が変わってしまう.実は分数は同値類を使って表される(次回定義)が,$\frac{1}{3}$を$\frac{2}{6}$に取り替えることは,代表元を取り替えていることに対応している.つまり,上の演算は代表元の取り方を変えると演算の結果が変わってしまうことになり,この演算はwell-definedではないということになる.
それでは上で定義した整数の演算がwell-definedであることを証明する.
$\overline{x}+(\overline{y}+\overline{z})=(\overline{x}+\overline{y})+\overline{z}$(加法の結合律).
$\overline{x}+ \overline{0}=\overline{0}+\overline{x}=\overline{x}$(加法の単位元).
$\overline{x}+\overline{y}=\overline{y}+\overline{x}$(加法の交換律).
$(\overline{x}\cdot \overline{y})\cdot \overline{z}=\overline{x}\cdot (\overline{y}\cdot \overline{z})$(乗法の結合律).
$\overline{x} \cdot \overline{1}=\overline{1} \cdot \overline{x} = \overline{x}$(乗法の単位元).
$\overline{x} \cdot \overline{0}=\overline{0} \cdot \overline{x} = \overline{0}$.
$\overline{x} \cdot \overline{y}=\overline{y}\cdot \overline{x}$(乗法の交換律).
$\overline{x}\cdot (\overline{y}+\overline{z})=\overline{x}\cdot \overline{y}+\overline{x}\cdot \overline{z}, (\overline{x} + \overline{y})\cdot \overline{z}=\overline{x}\cdot \overline{z}+\overline{y}\cdot \overline{z}$(分配律).
10.3 整数の減法
自然数と違い,整数の引き算は再び整数であったことを思い出そう.したがって加法と同様に減法を定義することができる.しかし今回は,「引き算」の意義を踏まえて定義していくことにする.一旦整数の加法に戻り,自然数の場合には成り立たなかった性質を証明する.それでは減法を定義しよう.整数の減法は加法の逆元との足し算で定義される.つまり \[ \overline{x} -_\mathbb{Z} \overline{y} \underset{{\rm def}}{=} \overline{x} + (-\overline{y}) \] である.したがって減法の性質は加法の性質から導かれるので,2つの演算を別々に考える必要はない. 結局,「引き算ができる」というのは「加法に関する逆元がいつでも存在する」ということに他ならない.代数学では後者の性質が重要となる.
次に符号に関する話をする.中学校で負の数が登場した時,「マイナス」×「マイナス」=「プラス」,「マイナス」×「プラス」=「マイナス」というルールで負の数の掛け算を習ったであろう.これは中学校での負の数の定義が曖昧だったために仕方がなく認めたルールである.しかし,「マイナス」を「加法に関する逆元を表す記号」として定義するとこのルールが証明できる.
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$(-\overline{x})\cdot \overline{y}=\overline{x}\cdot (-\overline{y})=-(\overline{x}\cdot \overline{y})$.
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$(-\overline{x})\cdot (-\overline{y})=\overline{x}\cdot \overline{y}$.
(2) 次の式変形により示せる. \begin{align*} \overline{x}\cdot \overline{y}&=\overline{x}\cdot \overline{y}+\overline{0}=\overline{x}\cdot \overline{y}+(-\overline{x})\cdot \overline{0}=\overline{x}\cdot \overline{y}+((-\overline{x})\cdot (\overline{y}+(-\overline{y})))\\ &=\overline{x}\cdot \overline{y}+((-\overline{x})\cdot \overline{y}+(-\overline{x})\cdot (-\overline{y}))=(\overline{x}\cdot \overline{y}+(-\overline{x})\cdot \overline{y})+(-\overline{x})\cdot (-\overline{y})\\ &=(\overline{x}\cdot \overline{y}+(-(\overline{x}\cdot \overline{y}))+(-\overline{x})\cdot (-\overline{y})=\overline{0}+(-\overline{x})\cdot (-\overline{y})=(-\overline{x})\cdot (-\overline{y}). \end{align*}
10.4 群と環
$\mathbb{Z}$の代数的構造を見ていこう. 減法の定義のところで説明したとおり,逆元の存在は代数系にとって非常に重要である.半群やモノイドよりさらに特別な代数系を紹介する.$(X, \circ)$をモノイドとし,元$e \in X$を$X$の$\circ$に関する単位元,つまり任意の$x \in X$に対し$e \circ x = x \circ e = x$を満たす元とする.元 $a \in X$に対し,$a \circ b = b \circ a =e$を満たす元$b \in X$のことを,$a$の演算$\circ$に関する逆元という.逆元は存在すれば一意的である(証明は定理10.5の後半と同様). モノイド$(X, \circ)$が群 (group)であるとは,任意の$x \in X$が$\circ$に関して逆元をもつときにいう.特に,交換律,つまり任意の$x,y \in X$に対して$x \circ y = y \circ x$を満たす群をアーベル群 (abelian group)または加法群 (additive group)という. $(\mathbb{N},+), (\mathbb{N},\cdot),(\mathbb{Z},+),(\mathbb{Z},\cdot)$の中で$(\mathbb{Z}, +)$のみがアーベル群であり,それ以外は群ですらない.実際,$\mathbb{N}$の中で$1+x=x+1=0$を満たす$x \in \mathbb{N}$は存在しないし,$\mathbb{Z}$の中で$\overline{2} \cdot \overline{z} = \overline{z} \cdot \overline{2}= \overline{1}$を満たす$\overline{y} \in \mathbb{Z}$は存在しない.つまり,それぞれの演算に関して逆元が常に存在するとは限らないのである.
ここまでの代数系は,集合と1つの演算の組を考えていたが,より細かい代数構造として加法と乗法を同時に扱うことが多い. 集合$X$に対し,加法$+$と乗法$\cdot$が定義されているとする. このとき,3つ組$(X,+,\cdot)$が環 (ring) であるとは,$(X,+)$がアーベル群かつ$(X,\cdot)$がモノイドであり,さらに分配律 \[x \cdot (y + z) = x \cdot y + x \cdot z, (x + y) \cdot z = x \cdot z + y \cdot z , \forall x,y,z \in X \] が成り立つときにいう. 特に,$\cdot$に関して交換律が成り立てば可換環 (commutative ring)という.よって$(\mathbb{Z},+,\cdot)$は可換環である.$(\mathbb{N},+,\cdot)$は$(\mathbb{N},+)$が群ではないので,環とはならない.また可換ではない環(非可換環)の例は,$2$次正方行列全体の集合とその加法と乗法を考えればよい.
半群,群,環のイメージとしては,「足し算」が定義できる集合が半群,「足し算と引き算」が定義できる集合が群,「足し算と引き算と掛け算」が定義できる集合が環である.代数系を研究する理由は複数の対象を統一的に扱えることである.例えば,素因数分解の一意性と多項式の因数分解の一意性は,整数の集合と多項式の集合がそれぞれ一意分解整域と呼ばれる特別な環になることから従う.また「ルービックキューブを解く」ことは群を使って説明できたり,暗号理論の研究では環の研究が重要になってくる.